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『ゲゲゲの女房』とか。

人間というものは、自分が生きていることの実感をどこかで求めずにはいられなくなるものという前提のもとにお話ししますと、多くは、それを働くことに求めるのではないかと思われます。働くというのは、賃金労働をするという狭義で言うのではなしに、人間が何かの仕事をする、それによって自らの能力を外に表して、その産物を作り上げるという意味においてであります。込み入った話はしませんが、この点から言うと、賃金労働というのは「働くってなにさ……」という疎外された感情を与えないでもありません。*1

それでも私たちとしては、賃金労働の自転車操業のなかでも、少しずつ貯蓄を行い、あるいは家財をより良いものとし、あるいは家族を作り子を設けるかたちで、「私のもの」と呼べるものを増やしていきたい。いつの日か仕事に一区切りが打たれたとき、あるいはお仕事休みのとき、そういった所有(家族を含め)を見渡すことで、自分が働いてきたことの具体的な成果を見出すことができるように思います。こうしてここまでかたちを得てきたもの、これが私の人生であり、これが生きることの実感というものではないかと。長きにわたる苦労が、このとき、報いを受けたように思われます。この生き方のなかでは、「報い」は未来に得られるはずのものへと先送りにされてゆき、いつの日か「所有」というかたちで現れるということになります。

私はしかしいま、別のことを考えています。誰もいない空間でひとりでぽつんと椅子に座りながら、だれかが床に落とした洗濯用の粉末を眺めているとき、私は本当に何もしていない人間です。労働をしていない、ただそこにいる、このとき私は現在にいることを感じる。それはどこにも先送りされることのない現在、いまそこでそうしていることが何の報いとしても現れてくることがない現在のなかに、ふと置かれている。

そのとき私は何も所有しているとは思いません。本当を言うと衣服や住居やその他諸々はすべて私の所有に帰しているようですが、この無の感覚を突き詰めているかぎりは、私はそれらの所有から脱落しているように思われるのです。こうしたときに、たとえば、私は自分の存在を「与えられて」いるなどと考えたくもありません。私がどちらかというと恩知らずな人間であることもありますが、もし与えをその瞬間において感じてしまえば、そのために返礼をしなくてはならないという義務に私は駆られてしまいかねない。そうしたら、止まったはずの時間がまた動き始めてしまう。

私はこの無為のなかにひじょうな不安を感じ、その不安が絶えず何か外の世界の事物に「漂着」するように訴えかけてくるのを感じます。まるで私は何もしないでいるのでは、存在するのに十分でないかのような感覚が、つまりは寄る辺なさの感覚が、私のなかから外へと突き動かすように働きます。その不安に耐えながら私は、この無がきわめて死に近いものではないかと感じる。本物の死を知らないにもかかわらず、それに似たものだけを感じ取ることができる、これはとても奇妙なことではありますが、自分が無くなってしまう、という意識の危機は、生物に死のアラートを与えるのではないかと思います。

ここでまったく不思議に思われるのは、無=死が、かえって私を動かしているということです。思考というものが働き始めるのは、労働をやめて、この無にいささかなりとも近づいたときのことです。そして、まったく動かず、静止していたなかで、意識は活発に働くことをはじめて、鳴りやむことがない。また時間が動き始める。死が鳴りやまないというのはとても不思議なことでなりませんが、この能産的な死から、他のすべてが生じているようにすら思えてしまいます。そしてこの能産的な死に向き合うときに、生きていることの実感が逆説的にも得られるのではないか。

このことは私に楽観をすら与えるのです。エクス・ニヒロによってすべてが生ずるかのように語ることは、きわめて危険ではありますが、人間は様々なものを持ち合わせながら、ある瞬間にはそれらの所有から解放され、無に帰り、その無から新しいものをさらに創造してゆくのではないか。この無が突如として語りはじめることに私はいま軽い期待を抱いています。

*1:というのも、多くの場合、賃金労働は、自らが作り上げた具体的な産物を自らのものとすることなく、それを売り払った結果得られる抽象的な対価を得ることによって終わるからです。厳密に言うと、それは終わりではなく、その金銭はさらに別の商品の購入に充てられ、それを糧にしてまた労働が起こり……。こうした事態は、終わりのない連続のなかへとひとを落とし込み、ひとまとまりの労働の意味を希薄なものにしてしまいます。

ジッド『背徳者』(2)――土地所有の不安

手元に『背徳者』もないため書きたいことだけ書き留めておきたい。さて、『背徳者』において病とは何かという問題が引き継がれたが、この「病」は多層的な決定を受けている。もちろん、病理的な意味での(文字通りの)病が、この小説の起点をなしている。ここで確認しておけば、『背徳者』とは、それまで文献学者として相当に名を知られていた若き俊英であるミシェルという青年が、マルセリーヌとの結婚旅行とその折の病臥を機に、人生の転機を迎えるというのが大まかな始まりである。喀血とともにミシェルは殆ど死を予感するが、マルセリーヌの手厚い看護もあって、徐々に恢復してゆく。ところが彼の恢復は、ただそのとき気候条件その他を変動として引き起こされた病からの恢復だけを意味するのではない。彼は自分の病とは何かと自問自答して、この喀血、この肺の病だけを指すわけではないと断言して、それはむしろ意志の問題なのだと考える。そして、これまでの人生すべてが実は長い長い病の時期だったのであり、そこからの恢復、健康を得たのだと彼は結論する。

もちろんここではニーチェのことを考えてほしい。ギリシア語ラテン語に通暁する若き文献学者というミシェルの設定そのものが、若き俊英ニーチェをモデルにしている(もっともニーチェとは違い、ミシェルは講義の場でもそれほど失敗するわけではないが)。そしてニーチェとともに、彼の「病」への批判は、文明論的射程を獲得することになる。近代ヨーロッパ文明そのものが一つの病だったのであり、アフリカ体験は、その外部を彼に示してみせる。この時期「旅」が大きな主題たりえたのは、「ヨーロッパ」から逃れたいという大きな願望を支えにしていたからである。ミシェルは講義のなかで、文明とは爛熟のなかで頽廃を迎えてゆくものであるという一般論を表明する(ギリシア後期のデカダンスのような)。アフリカの力強さは、彼にそれと真逆のものを示してみせたのである。

それに加えて、セクシュアリティの「病」が加わることになる。なぜならミシェルがアフリカで発見するのは自らの同性愛の傾向だからである。新婚なのに? 物語はふたりの性生活について多くのことを語っていないが、ふたりが(新婚であるにもかかわらず!)ベッドを別にしていることを何度か強調している。彼が明示的に彼女と寝た、と書いているのは、彼女が暴れる馬にのって危機にさらされたとき、つまり彼女の生命が何らかのかたちで危機にさらされたとき、はじめて彼は性的な意味での興奮を覚えたということになる。ジッドのオナニスムといえば自伝『一粒の麦もし死なねば』のなかでも既に知られているが、キリスト教道徳の強い抑圧のなかで自らのセクシュアリティについて抑圧を重ねていたピューリタンジッドが、アフリカにきて覚えた文字通りの興奮が、この小説のなかにはっきりと表れている。

したがって、この作品の「病」の問題をセクシュアリティから読み解くのは、まったく妥当なことだと言える。しかしにもかかわらず、この小説を読んでいるとき、ジッドの病の「根源」にあるとぼくに思われるのは、彼の階級意識、つまりブルジョワとしての彼の地位ではないかと思う。それは西洋人であるということとたぶんに重なりはするが、この小説において、ジッドはかなり明示的に西洋にいて、ある程度の特権階級に属する自己の立場を、アフリカという鏡のなかで病的に描こうとしているように思われる。ぼくがとりわけ注目したいのは、「土地」の問題、土地所有者としてのジッド≒ミシェルである。父親の遺産を受け継ぐかたちで、彼はわざわざ働く必要のない、特権階級に属する人間であることが明示される。しかし「旅をする」という経験は、そうした所有から身を引きはがすことを何よりも意味する。三部構成からなるこの小説の第一部は、アフリカ体験をとりわけ描くことで、それまでの無自覚的なブルジョワ的所有のくびきから、徐々に解放されていく過程を描いていると言っていい。

小説の第二部では、アフリカ旅行は終わり、新婚夫婦は故郷に帰るが、彼らはむしろ領地である彼らの土地へ向かう。アフリカでの経験をもとにして、ミシェルはそれまで全面委任していた土地の管理を、自らが請け負おうとする。この個所は作品のなかでとりわけユニークな個所ではないかと思う。ミシェルの自己の土地に対する態度は、土地の所有者のそれであると同時に、土地の簒奪者のそれをも兼ねている、といえるのではないか。なぜそういうことが可能なのか。ヨーロッパに帰るとともに、ミシェルはそれまでそれほど苦にも思っていなかった社交界の付き合いを苦痛に感じ始める。彼らの無自覚な特権階級としての態度が、あまりに退屈なものに思えてくる。それに対して、それまではいけ好かない人間だと思われていたメナルクという青年が、彼にはかえって好ましく思えてくる。彼は孤独で、人付き合いをせず、むしろ冒険家として世界の方々をめぐっているような人間で、ミシェル自身は、変化を迎えたいまとなっては、彼のほうに親近感を覚えるようになる。第二部の重要な個所をなすメナルクとの対話で、メナルクは、ミシェルに決定的な言葉を投げかける。終生を旅人として生きているようなメナルクからすれば、ミシェルの生き方は、あまりに多くのものに縛られている。彼は結婚している、彼は土地を所有している、彼は大学に教職を持っている……なぜむしろ、すべてをなげうって旅に出ようと思わないのか? ここでジッドはメナルクの(たぶんにニーチェ的な)態度に、全面的に賛意を呈しているわけではない。むしろメナルク自身が、自分の人生の選択に対して幾分懐疑的である。しかしにもかかわらず、ここでのメナルクの見解、ミシェルの人生にとってはむしろ糾弾とも映るようなそれは、彼の人生の決定的な余韻をもたらす。そしてミシェルはついに、第二部の終わりごろには、土地を売り払うまでに至るのだが、それに至るまでの経緯がまた面白い。

第一部のピークをなす個所は、ミシェルが家に招いたアフリカの青年が彼の所有物を盗む姿を見て見ぬふりをする箇所にある。一見すると、この箇所がもつ重要性は測りかねるところがあるが、この「窃盗」というモチーフは、「所有」の対極をなすものとして、またそれのみとして、きわめて重要な意味をもつ。自らの所有物を盗ませるがままにすることで、彼は自らの所有者、土地所有者としての態度を、放棄することを始めるのである。そして第二部において、彼は自らの土地から、自らの土地の作物を盗もうとする。土地の小作人のひとりである青年とグルになって、夜な夜な盗みを働くのである。もちろん土地所有者である彼にとっては、ほとんど無意味なふるまいに違いないのだが、ここで彼は、アフリカで出会った青年の模倣を始めているのである。まるで彼が何も持たざるものであるかのように。そうすることで彼は、これまでの特権的所有者としての彼を「掠め取ろうと」している。

ここでおそらくジャン・ジュネのことを思い出してもいい。窃盗者であるジュネは、サルトルがその伝記のなかで説明しているように、田舎の土地所有者である人々のなかで育ち、しかし何等の所有の権利を持たないがゆえに、盗むということにしか自己の存在の仕方を見出すことができない。他方ジッドはジュネと違いはじめは所有者であるものの、自覚的なかたちで盗人になろうとする。そして両者のホモセクシュアリティは、多少ではあれこの「盗人」という存在様式と関係するのである。とりわけぼくは「盗み見る」という契機に注目したいと思う。アフリカの青年が彼の所有物を盗み取るとき、ミシェルがこだわるのは、彼をつかまえることではなく、彼が盗む姿を盗み見ることにある。そして彼自身が盗みを働くようになるとき、彼を興奮させるのはやはり見つかるかもしれないという不安に他ならない。このようにジッドが「盗み見るsurprise」ことに対してオブセッションともいえる執着を見せるのはなぜなのかと問うてもいいし、それがジッドにとっては彼の自慰の経験が両親に発見されてしまうかもしれないという不安に結びついているのだと性急に結論づけてしまっても、ぼくにはまったく不合理には思われない。しかしセクシュアリティが先立つのか、それとも「所有と盗み」というより社会的な関係が先立つのか、これはジッドの根本的問題を考えるうえで重要であり、それはあたかもジュネに関する有名な問い、「彼は盗人である前から同性愛者だったのか、それともまず同性愛者であってそのあと盗人になったのか?」という問いを思い起こさせるものである。そしてある作家がそれに対して、彼はまず盗人であったのだ、と答えたように、ぼくはジッドについて、彼はまず所有者であったのだが、そのあとに旅をつうじて盗人に、つまり土地の非所有者になることを選んだのだ、という風に考えたいと思う。じっさい、ぼくが考えるかぎりでは、セクシュアリティの問題は、ジッドにおいて、所有の問題(たぶんにマルキシズムが得意としてきた問題系だが)に、一歩譲ると考えられるのではないかと思う。

したがってこの小説は、彼のアフリカ体験や、メナルクとの対話を契機として、彼が自らの富を脱所有化、脱物質化してゆく過程であるとぼくは見做したい。そして所有を減らせば減らすほど、彼の「健康」は増してゆくのである。ここに至って、彼の病、この小説の病とは、あまりにも無自覚に土地所有者であり不労所得を得られるということに対する階級的不安に根差しているのであり、それを放擲していく過程こそが、彼の健康を準備するものになるのだ、という風に結論づけたいとぼくは考える。そして物語の終わりには、もちろん、最大の「所有物」(こんな言い方に到底同意することはできないが物語の構成上そうなっている)である、彼自身の妻を手放す(失う)ことによって、彼のその道のりは、とりかえしのつかないほどに、完成するのである。

ジッド『背徳者』(1)―序文と「議長D.R.氏へ」を中心に

1902年刊行、ジッドのこの小説は、彼がはじめて「レシ」と呼んだ作品であり、それまでの現在形で語られた作品と異なり、単純過去を多用しながら語り手が回顧する形式をとる(ジッドの作品は総じて読みやすいが現在ではそれほど使われない単純過去が頻出するこの小説は少し読みにくい)。

初めに著者による序があり、彼はここで語られる登場人物の行為の是非について、敢えて問題にはしない、と表明する。作者の登場人物に対する中立性は、現在では当然の態度にも思えるが、これが書かれた当時には、モーリス・バレスやポール・ブールジェのような作家による「問題小説」が多く執筆され、作家が登場人物の行為を礼賛/指弾する目的で小説を執筆することは珍しくなかったことに注意されたい。たとえばブールジェの1889年の小説『弟子』(ジッドはこの小説を89年夏に読んでいる)は、前年に起きた「シャンビジュ事件」という現実の事件に取材したものであるが、妻を殺し、自分も自殺しようと試みた23歳の青年の深層心理に、実証主義的科学が宗教によってとってかわられたにもかかわらず、宗教が与えうるような道徳性が不在になってしまったという時代の病理を読み解き、作家自身のカトリックの立場からそれを糾弾している。この事件はアナトール・フランス(「文学的事件」)やバレス(「アンリ・シャンビジュの感性」)によっても取り上げられたが、ジッドにも、そしてとりわけ『背徳者』にも影響を与えている。この事件はアルジェリアコンスタンティーヌ近辺にあるシディ・マブルークという村で起きたものであるが、小説のなかで語り手のミシェルがシディ・b・M村に住居を構えているのがその証左である。

つまりジッドはこの序文で、カトリックの立場から現代の病(デカダンス)を糾弾してしまうブールジェ及び他の作家たちの反動的性格に対して、抗議を表明していると考えられる。もっともそれを中立の擁護というのでは、あまりに安易に映るかもしれない。ジッド自身が、宗教=道徳の強い磁場から抜け出そうと欲しつつ、その引力に引き込まれていたのであるから、この小説において描かれる「病」に対して、彼はあまりに両義的な、魅了と反撥を感じているのである。

示唆してきたように、このレシはまさしく「病」をめぐる作品であり、「病」への転落とそこからの恢復が描かれている。ミシェルが経験する道程はジッド自身の自伝的体験をも色濃く反映している。95-96年のマドレーヌとの新婚旅行、97年の再度の旅行(スイス、イタリア)、99年の北アフリカ旅行、1900年のアルジェリア旅行など、構想から執筆にかけての時期にジッドが行った旅行や、従姉のマドレーヌとの結婚および病弱な彼女との関係は、この小説の主人公ミシェルとジッドを(そしてミシェルの妻マルセリーヌジッドの妻マドレーヌを)同一視したいという欲望に駆り立てるものではある(もちろんこの近似性は両義性の根でもある)。とはいえ作家はこの同一視を拒否しており、ミシェルを外から眺めようとする工夫を凝らしている。それが序文に次いで現れる「議長D.R.氏へ」という、ミシェルの腹心の友ドニ、ダニエル、「私」の三人から差し出された手紙である。彼らはシディ・b・M村でミシェルから聞いた話を議長に報告しているのだが、その目的は、彼に何らかの公職を与えることにあるらしい(ここにもいくらか自伝的要素がある)。興味深いのは、ここで彼らが自らを「ヨブの三人の友人」と同定していることかもしれない。旧約聖書ヨブ記で、ヨブは悪魔と神の信仰をめぐる議論のなかでおもちゃにされ、重い皮膚病を患うことになる。ここでも病であるが、ミシェル=ヨブという同一視は、ミシェル自身は宗教的人間ではないにもかかわらず(それは彼の妻マルセリーヌの篤信と対比される)、このレシに宗教的含意を与えている。

それにしても、この小説において「病」とは何か?

ジョゼフ・ジョースター! きさま! みているな!

旅の話をしたときになんとなくカマかけてみたら、やっぱり見ているな! という気がする。

天使なんかじゃない

矢沢あい。魅力的な絵柄、魅力的なキャラクター……なんだけど、ちょっと合わないなと思うこともある。何よりヒロインの翠は、ヒロインの容姿としては奇抜な感じがする。ヒロインそのひとというより、その傍にいて、ちょっと不幸な失恋をするタイプに見える。マミリンの恋は応援したくなるタイプでとても好き。晃はツッパリだけど実はネコとかにやさしいタイプっていうのが型っぱりすぎて。同じネコ惚れなら『PON! とキマイラ』(好きな漫画)の八幡に惚れるチヅちゃんみたいなのが良いと思う。

 

行く先々に前世紀の痕跡を探す旅。第二次世界大戦や冷戦期の困難な時代の記念碑として。夏場は特に避暑地として栄えるサン=マロは第二次世界大戦時に爆撃され、戦前の姿を尊重するかたちで再現されている。ポーランドアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。言わずとしれた死の製造所。チェコではナチ時代のレジスタンス活動から共産主義政権時代におけるプラハの春、89年のビロード革命に至るまでの歴史を眺める。ドイツのドレスデンは、大戦終了間際に大空襲を被り、サン=マロと同じように復興の努力を重ねた。そしてベルリンでは冷戦を象徴するベルリンの壁、そしてユダヤ博物館。(ある意味では、旅路のなかで、パリだけは例外的に戦争の痕跡を感じさせなかった。大戦が始まるや否や避難したというルーヴルの芸術や、300年経っても依然として絢爛豪華なままのヴェルサイユ。もちろん探せばレジスタンスの姿を見出すこともできようが。)

前世紀の痕跡だけでなく、テクストを探す旅でもあった。「金髪の野獣」と怖れられたナチの高官ラインハルト・ハイドリヒをチェコレジスタンスが暗殺した事の次第については、最近ローラン・ビネの『HHhH』が描いたばかりで、それを元に彼らレジスタンスが今際の闘争を行った教会や、そのすぐそばの<パラシュート部隊>という名のブラッスリーに行った。ナチの加害が焦点化されすぎるために歴史上ではあまり記憶されていないドイツ最大の被害であるドレスデンの爆撃については、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』が雄弁だった。これらテクストと歴史との関わり、テクストと旅との関わりについては、また別の機会をもって書ければと思う。

 

アウシュヴィッツ=ビルケナウをその象徴とする第二次世界大戦における大量死、戦争終了以前から構築された冷戦構造とスターリン主義が引き起こした東西の分断と対立の歴史。そうしたものは観るものを少なからず厳粛な気持ちにさせずにはおかない。それはぼくのなかに多くの物思いを掻き立てるよりはむしろ思考の沈黙を要請するようであって、あまりに計画的に遂行される産業的な死や、ひとりのナチ高官の暗殺が代償としたあまりに多くの犠牲(それは一つの村を文字どおり灰燼に帰してしまった)、壁の存在が30年以上にわたって強制してきた家族や恋人たちの分離、そしてその壁を無理やり乗り越えようとする試みがもたらした成功よりももっと多い数の挫折を前にして、それを鎮めうるような言葉を自らのうちに見繕うことができずにいた。

そればかりではなく、ヨーロッパにいるあいだには決して良心に訴えかけることを止めない物乞いの存在が、メランコリーにますますの拍車をかけることになる。日本にいるホームレスたちの存在がぼくの心を痛めないわけではまったくないが、ヨーロッパの物乞いははるかにずっとしたたかでいる。彼らはたとえばエスカレーターの終着地点や有名な観光名所、教会の近辺にいて、通行人の良心を見事にくすぐってくる。そして、あまりに長く身体をくすぐられた人間が、次第に笑うことをやめて怒りだすように、ぼくもまた自分が彼らの生存戦略を貧者の傲慢と受け止めて憤慨するような心情を持つことを発見せざるをえない。つまり、貧しいひとは慈善の施しを待つべく受動的な姿勢に置かれているべきであって、こちらの良心を積極的にくすぐってこようとするのは傲慢であると考えるような、そういう唾棄すべき心情を。しかも同時に自分も早晩あちらの側に立つことになると感じながら。プラハには土下座の姿勢で硬直しているひとがいた。しばしば雪の降る季節のことである。ぼくの意識ははっきりとそれを見ることを拒み、そして博物館のなかの悲劇を前にした厳粛さと路上での冷淡さとのあいだに説明のつかない溝を残したままでいた。

 

これらの緊張状態に沈黙のなかで潜伏しながら、少しずつ今日にまで至る歴史の苦痛を受け入れつつも、その先を見ることができないかと考えるようになったのは、本当に旅の終わりの間際になってのことだったように思う。きっかけはベルリン近郊のポツダムにあるサンスーシの宮殿と庭園を歩いたことにある。この宮殿の建設者であるフリードリヒ二世のことが好きになった。武勲に秀でた父王の厳格な教育に反撥して作られたロココ調の愛と美に捧げられた宮殿というのが良い。ドイツにジャガイモ栽培を導入した人物として知られ、墓にはジャガイモが備えられてあるのも面白い。私的な生活では妻とは同居せず、子をなすことのなかったというのも、興味深いと思う。ヴィルヘルム2世なんかよりよほど精神分析的に興味あるのではないか。

人間と自然との一致をコンセプトに作られたという宮殿・庭園をたったひとりで散歩しながら、知らぬ間に少しずつ解放された気持ちになっていくように思われた。それにしたって、一人きりの人間というものは、いったいどういうことを考えるのだろうか? ぼく個人に関していえば、分裂病質的な誇大妄想を展開させるのがもっぱらで、その日は「もし自分がフリースタイルダンジョンで般若と対決することになったらどういう韻を踏むことにするか?」を相当長く考えていた。「ダンジョンの果てまでイッテ Q」を何と踏むべきか(やはり「行って喰う」ではないか)が、かなり難しいように思われた。そういう馬鹿げたことを考えるのが常の習いで、あまりにそれに没頭しすぎたせいか、広大な庭園のなかで迷い、ポツダム会談の舞台となった場には行きそびれてしまった。

ベルリンの最後の日、朝から(サンスーシ庭園ほどではないがこれも広大な)ティーアガルテンを散歩しながらぼくが考えていたのは、「もし自分が初音ミクを用いた交響曲を作ることになったらどういう曲にしたいか?」ということだった(ちなみに初音ミクを用いた交響曲冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』がある。NHKスペシャルで一部観たが、とても面白い)。つけるべき副題は(初音ミクだから)「未来」、これは決まりきったことではないか? それは未来に希望を差し出すような曲でなければならないが、同時にこれまでの旅が目撃してきたような数々の歴史を受け止めたものでなければならないだろう。こうしてぼくは、『交響曲第1番Hiroshima』を構想していたときのあの佐村河内守のような情熱で問題に取り組んでいたと言える。

 

積み重なる死を目の当たりにしながら未来に向かおうとする初音ミクについて考えていたとき、もちろんぼくはそこにこれまで繰り返し思い描いてきたベンヤミンの(パウル=クレーの)歴史の天使を重ねていた。ぼくはいつかその唯物論的思考を失わないままにベンヤミン的な救済について考えられたらよいなと思う(というのも今日ベンヤミンが受容されるときそれはもっぱら観念論的な仕方で捉えられてしまうからだと自戒を込めて記しておく)。歴史の天使は後ろを向きながら飛ぶ、とベンヤミンは言う。その天使は、歴史を勝利の積み重ねとして、つまり前へと向かう進歩としては捉えない。むしろその敗北者たちを、進歩の後ろに取り残された廃墟を見つめながら、否応なく押し流す風に飛ばされるようにして飛んでゆく。そして、この天使のことを思いながら、ぼくはこの旅そのものにある一つの意味が現れてくることを感じた。このヨーロッパの歴史的廃墟を眺めながら、そこに天使を見つけること、あるいは少なくとも天使の眼差し・その痕跡を見つけることこそ、その旅の終りを画するものとして相応しいのではないか?

そうして気付けばティーアガルテンの中心部に近付きつつあった。この公園は広大ではあるもののサン=スーシとは異なって中央道は車道として用いられているため、あまり心落ち着くものではなく、少しずつ脱線しながら歩くほうがよい。そして真ん中には記念塔が存在している。『ベルリン・天使の詩』で中心的に用いられたことでもよく知られる黄金の像は、ヴィクトリアという名の女神あるいは羽の生えた天使だった。これだろうか、それでは? 探したかったものは……? ラウンダバウトの中央に存在する天使を間近に眺めるためには、一度地下道に降りてから中央島に上がらなければならない。階段を上がりながら天使を眺め、そうではない、これではないかもしれない、と思われたのは、ぼくの上る階段に対して彼女がはっきりと背を向け、前方へと向かわんとしていたからだった。それは戦勝記念塔だった。デンマーク戦争、普墺戦争普仏戦争の勝利を記念して建てられた塔は、歴史の敗北の天使とは真逆の方向を向いている。『1900年頃のベルリンの幼年時代』のエピグラムで、ベンヤミンは「おお こんがりと焼きあがった戦勝記念塔よ/幼き日々の 冬の砂糖をまぶされて」と記しているが、同じテクストのなかで、それを「墓標」であるとも呼んでいる。勝利の女神は、それに続く数多の死と土地の荒廃をもたらしたからだった。ベルリンを去り、亡命生活を送ることになったベンヤミンは、まさしくこの勝利の女神に抗するかたちで、自らの歴史の天使を思い描いたに違いない。

これは探し求めていた天使ではない。ではぼくがこれまで歩いてきた風景のどこかに天使は隠れていたのだろうか? ベルリン動物園の方へと歩みを向けながら想起のなかに天使を探し求めようとしてみたが、その努力はまるでミシェル・ゴンドリの『エターナル・サンシャイン』で男が記憶のなかの元恋人を探し求めるときのようで、一瞬現れたかに見えては消えてしまうのだった。もしかしてぼくが飛行機のなかで寝ていた見逃したモン=サン=ミッシェルの頂上にいる聖ミカエルが? いや、ぼくの思い描く天使はあれほど勇猛に竜を殺すものではない。それではルーヴル美術館にいたサモトラケのニケが? ニケは戦勝記念塔のヴィクトリアと同一の女神だが、前者の方がよりはるかに好ましく思えるのは、彼女には顔がないから、どこを向いているのかわからないところにあるからかもしれない。だがそれでもない。数多く訪れたあれやこれやの教会のどこにでも天使はいたが、そのどこにも、歴史の負債のすべてを見つめて飛ぶ天使はいなかったようにも思われた。

 

カフカは天使について何か書いていただろうか? そういう疑問が浮かんだが、それに答えてくれるひとはいなかった。カフカなら天使を見つけていたかもしれないな、とだけ思ったが、けっきょく記憶のなかで天使をつかまえることはできなかった。羽一つ残さず、けっきょくのところは、その記憶そのものが間もなく廃墟として崩れてゆくこともまた分かりきっていた。パリで『出口なし』という劇作家ジャン=ポール・サルトルの戯曲を観たことを思い出す。地獄に出口はない、と彼は言う。ユダヤ博物館の一角で、強制収容所の恐怖を思い起こすために構築された真正の暗闇に閉じ込められたとき、怖れに駆られてすぐさま入口を探したことも思い出す。もしあのとき入口もなくなっていたなら? そして実際の話、歴史のなかには入口も出口もないのだとしたら?

教育映画という感じの『あん』

河瀨直美監督は日本よりも世界で知られている監督だと思う。昔、2008-9年に『七夜待』を新文芸座で観たが、はっきり全く良くないと思った。話はよく覚えていないが、ハンディカムみたいなカメラでぼんやり。タイのヒーリングな世界でまったり。やりとりが聞き取りづらいと思ったら、台本は殆ど作らずアドリブで進められているという。

 

2015年の『あん』もそういう独りよがりな作品かなと思ったが、それはまったく違って、ウェルメイドな作品で好感を持った。千太郎(永瀬正敏)が営むどら焼き屋に、バイトしたいと言って75歳にもなる徳江(樹木希林)がやってくる。はじめは追い払おうとする彼だが、彼女の作った餡子を食べてみて考えを改める。彼女に餡子づくりを教わりながら、店の常連の女子高生ワカナ(内田伽羅)も含めた三人が物語の中心になる。

作品のテーマは「自由」だと思う。三人が何らかのかたちで閉じ込められている。ワカナは家庭という檻に、千太郎は孤独と檻そのものに。そして彼らの檻がどちらかというと個人や家族の幅に収まっているのに対して、徳江の閉じ込められている檻は、国家の次元、歴史の次元に接触している。けれども彼らはお互いの境遇を似た者として理解しあっていて、そこから出たいと思っている。彼らを象徴するように檻のなかに閉じ込められた小鳥まで登場するのだから、象徴の扱いとしては親切そのものである。もちろん、映画の後半にこの鳥は檻から解き放たれねばならない。

永瀬正敏樹木希林の演技は申し分ない。樹木希林の名人芸については、もはや何も言うべきことはないのだが、永瀬の抑制された演技には特に感心させられた。千太郎の過去は十分には明かされていないが、決して120分のあいだだけ生きている平板な人物ではないことを説得させられる。

好みで言うと内田伽羅には未熟さを感じる。発声が特にそうで、ちょっと朴訥すぎる。それに、物語から言っても、彼女のふるまいと同時に、映画が一気に教育的になってしまう気がする。特に、彼が前の部活動の先輩と一緒に図書館で調べものを始めるあたりは、果たしてほかの仕方で伝えることができなかったのかと疑問に思う。

そして教育者は樹木希林なのだ。彼女はそれを引き受けて演じていたように思う。歴史の生き証人、人生の先輩の立場から、これから生きていかねばならない者たちへのメッセージ。そこに樹木希林自身に残された人生の長さを重ねてしまうのはもう仕方がない。

教育的な映画であることがいけないというわけではない。しかし千太郎と敏江の間柄が、魅力的でそこに回収されないものが多かったぶん、もう少しドロドロしたものがあってよかったのではないかと思う。たとえば、ワカナと千太郎が居酒屋に行って、彼がたばこを吸っている場面はすごく素晴らしいと思ったが、あれに続くものは中々なかった。そして徳江が消えてからは、物語が綺麗に終わりすぎるのではないか。少なくとも、千太郎が二度も泣くのはやりすぎだと思う。

間奏曲の途中ですが……

ロラン・バルトがどこかで……というか、1977年のテクスト「音楽、声、言語」のなかで、次のように書いている。

ですから、音楽について語るのは非常にむずかしいのです。絵画について語ることに成功した作家は沢山います。音楽については一人もいないと私は思います。プルーストでさえ、例外ではありません。その理由は、一般的なものの分野に属する言語活動(ランガージュ)と、差異の分野に属する音楽とを結合することが非常に困難だからです。

音楽について語り始めるとき(もちろん歌詞ではなく音そのものについて)、ひとは外国語で喋り始らざるを得ない。外国語で話すというのは、プルーストが「優れた書物は外国語で書かれている」というのとはまったく異なる意味で、苦痛と困難を与えることになる。理屈が出ないのである。「それは良いね」とか「それは嬉しい」「それは素晴らしい」、「それはまさに驚くべき」、「それは恐ろしい」、「それは悪くなかった」こういう言い回ししか出てこない。

72年のテクスト「声のきめ」のなかでバルトは、如何にして形容詞で語ることを避けるか? という問いを問うている。情熱的だとか、静謐だとか、霊的であるとか、そういう諸々の紋切型の形容詞を避けることなしに、如何にして音楽に語りうるか、という問い。情熱や静謐や霊性や崇高は、あらゆるものを一緒くたにする一般的なものの言語活動であり、それに対して音楽は差異的である。

 

もっとも、心に思い浮かぶものを拾い上げるときには、形容詞が現れることにも利点はある。特に標題のしっかりした音楽のばあいには、楽想に身をゆだねて、その風景を描写してゆくのがよい。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」。二、三人聴くと、スヴャトスラフ・リヒテルの演奏に行き当たる。リヒテルのものがよい。他のひとのでは少し遅い。リヒテルラフマニノフのピアノ・コンチェルトの2番が名盤で、最初のピアノの音から一歩一歩冥界に降りていく気持ちになる。好きだなリヒテル

絵画のディスクリプションだって簡単ではない。絵画のばあいはそこから得る情動よりも一か所一か所客観的な説明を加えていくほうがよいように思う。好きな絵を一枚選んで、ディスクリプションしてゆく作業。別に時間はかからないしタメになるから、このブログでもやりたいなと思っている。