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いちごパンツをもう一度

ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)という映画がある。悪趣味鬱映画で有名な監督ラース・フォン・トリアーの代表作の一つで、悪趣味さ(無慈悲さ、完全な無神論的傾向)で言えば『奇跡の海』に一歩譲るが、この作品はキャッチーで、歌手のビョークが主演ということもあって人気があり、人気がある分、多くのひとにいまなおショックを与えている(ぼくは高校くらいのときに観て、膝を噛んで泣いた)。日本では正月映画のような振れ込みで紹介された分、なおのこと年始早々憂鬱になったという話がある。

この映画のなかで、ビョーク演じるセルマは、弱視の移民で、息子との二人暮らしで苦しい生活をしているのだけれど、ひじょうに空想的な性格をしていて、心のなかではいつもミュージカル状態である。だからこれはミュージカル映画なのだけれど、ミュージカル映画のリアリティのなさ(なぜ突然登場人物たちが歌い踊りだすのか……『シェルブールの雨傘』とか『世界中がアイラブユー』参照)を逆手にとった作品で、リアリティが無いぶん、彼女の現実との対比が激しくなる。

確かその映画のなかで、彼女は親友の女性と映画館に行く。もちろん映画は見えないので、友達に、彼らがいまどういうシーンにいるのかを教えてもらわなければならない(確か、カミュの『最初の人間』にもそういう場面があったね。息子とおばあちゃんで)。それで、確か彼女は最後まで映画を鑑賞することなしに映画館を去る。その理由は、もし最後まで観てしまったら、空想の余地がなくなってしまうけれども、その前に立ち去ってしまえば、その映画は私のなかで生きつづけて、空想の糧になるからだと彼女は言う。

徹頭徹尾空想的な彼女にとって、ひとの創作物であっても自らの空想の糧になる。いまにして思えば、それは監督からの「この映画、最後まで観たら後悔するぞ」というメッセージだったのかもしれないけれど。

 

前置きが長くなったけれども、『いちご100%』の話である。

作者、河下水希、連載時期2002年から2005年。掲載誌は週刊少年ジャンプ。21世紀のラブコメと言えば、やはりこれを措いては語れないのではないかと思う。

思うに、少年ジャンプは中高生が一番読む雑誌だから、それに掲載されている恋愛漫画は、青少年の情操教育に大きな影響を及ぼす。それはたとえば同時期に掲載されていたサンデーの『ハヤテのごとく!』やマガジンの『涼風』とは少し違う、覇権雑誌ならではの責任がある。

いちいち昔のマンガの話はしないから、同世代がどういう風に受容していたか知らないが、あの時期『いちご100%』をまったく知らなかったということはまずありえないし、だいたいある程度は知っていたのではないか。それはいわば、青少年に共通する恋愛経験なのであって、西野つかさ東城綾か……みたいな思いに胸を焦がさずにはいられなかったはずだ(きっと)。

個人的には『いちご100%』より『I''s』のほうがレジェンドなのだけれど、『いちご100%』も、世代だったのでやはり読んでいた。リアルタイムじゃなかったかもしれないけど、うちに単行本もある。けどうちには最後の二巻くらいが欠けている。最後まで読まなかったのである。なぜか……なんとなく、というのが正直なところで、あまり少年マンガ自体から少し離れかけていたのと、後半の展開にそれほど惹かれなくなったから、と強いて言うなら言っておきたい。

おかげで、ぼくのなかではいまだに東城綾西野つかさか(まあそれ以外もいますけど)は決まっていない。というか、本誌組に先にネタバレされてしまって、えーっそうなの! 結末が分かっちゃったなら、もういいか……みたいに気落ちしてしまったのも読むのをやめた理由な気もする。だから、本当はどちらが選ばれるか知ってるけど、まあ知らないことにしておく。いまでもそれは空想の糧になる。

 

少年漫画の恋愛は構造的である。というと胡散臭いが、要するに類型的なので、たとえばヒロインの型というのはある程度決まっている。これをゼロ年代風に、データベース的であると言ってもいい。言わないほうがいいが。

いちご100%』は、主人公の名前が「真中」で、その真ん中をめぐって、東城綾西野つかさ北大路さつき、南野唯、という東西南北女の子がしつらえられている。基本的に東城か西野というのは既定路線なのだけれど、その脇を固めるように、外村美鈴や、端本ちなみ、向井こずえ、といったサブヒロインがいる。

主人公は映画好きの青年で、ある日学校の屋上でいちごパンツの謎の美少女に出会う。その子に映画的な興奮を覚えて(あの子をこういう角度で撮ったら、サイコーだろうなっ、みたいな)、探そうとするのだけれど、その子が落としたノートの名前のクラスメイト東城綾は、その美少女とは似ても似つかない、ひっつめ髪で、メガネのやぼたい子である。が、そのノートには彼女がひそかに書いている小説があって、真中はそれに感動する。一方美少女という線では、西野つかさがいて、ひょっとして彼女が例の美少女なのかと(見間違いようはないはずなのに……)思いつつ、真中は伝説的な告白をして、オッケーをもらう。

まあこれが作品の第一話で、あとは恋人で容姿端麗万能の西野か、恋人じゃないけど、自分の映画作りに協力してくれる東城(こっちだって容姿端麗万能だ)とあとその他(特に北大路)とのあいだで揺れる恋心である。

時間がないので、このヒロインをカテゴリー化することで今日は終わりにしたい。これが他のラブコメにどれくらい当てはまるかは、まあ気が向いたときにやろう。

 

東城綾……「本命型」この呼称は微妙かもしれないが、ラブコメにはだいたい「本命」がいる。主人公が最初から好きな女の子、がこれに当たり、しばしば連載スタート時点より以前から片思いしていることが多い(『I''s』の伊織、『とらドラ』だったらみのりん)。本命は、確かに本命なのだが、やや不遇で、これはマンガの力学というものが、元から好きなキャラよりは、新しく登場する女の子にどんどん惹かれてゆく傾向にあるということから説明されると思う。

西野つかさ……「襲来型」いや、使徒(©エヴァ)じゃないんだからというところだが、他に適当な呼称も思いつかない。本命で好きな子がいる主人公のもとに、突如現れるヒロイン。いくらかミステリアスで、エキセントリックで、主人公はだいたい翻弄されながらそれに惹かれてゆく。登場シーンで、しばしば本当に襲来する(空から落ちてくる等)。『Kanon』なら月宮あゆ、『ニセコイ』なら千棘、『うる星やつら』なら言わずと知れたラムちゃんである。

北大路さつき……「お色気型」? もうちょっとまともな類型があるかもしれないが、北大路は要するにお色気要員なので、まあ本質は突いていると言える。この手のヒロインに勝つ見込みはない。読者人気は高いかもしれないが、本命型や襲来型の持つ羞恥心みたいなものがないと、だいたい勝てないものである。北大路は積極的すぎて、練習でいいからワンチャンやっちゃおーぜと誘ってしまう。捨て鉢ではいけない。

南野唯……「妹型」。本当は妹じゃなくて幼馴染だけど。『シスタープリンセス』を生んだゼロ年代前半は妹全盛期だったので、本来的に妹の持つ勝算は高いということになるのだけれど、ラブコメもののように色んなヒロインが出てくる作品で、妹型が勝利する例は、まずなかったのではないか。『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』みたいな、例外的な作品を除けば……。そういえばこの記事は【ネタバレ注意】ワイ、いちご100%を読んで寝れなくなる : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログに触発されて書いているのだけれど、ここに

150: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/01/04(月) 05:46:46.65 id:GrH2IWhj0.net
東好き→ネクラキモオタ
西好き→イケメンリア充
南好き→ロリコン
北好き→ヤリ目
これが結論じゃないっけ

とあって、まあ東と西のファン層はちょっと違うかもしれないけど、南好きがロリコンというのは間違ってないので、ぼくは割とこの子が好きだった気がする。その強みは、まあ要するに気心が知れているので、一緒に風呂だって入ったじゃーん! とか言えるところ。

外村美鈴……「サード・アイ型」中二っぽい呼称。この子は別に主人公のこと好きにならないけど、まあラブコメにはこういう第三者の視点から辛辣なことを言う子もよく登場する。主人公の疑似ハーレム状態をちょっと外から眺めていて、ちょっと批判的なことをいうけれども、案外主人公のことが好きだったりもする。『とらドラ』ならあーみん、『僕は友達が少ない』だと理科かなと思う。

端本ちなみ……「後輩型」「妹型」と「後輩型」はどう違うのかという話になるかもしれないが、学校を舞台にする恋愛漫画はだいたい途中で学年が変わるので、後輩が現れる。が妹は突然現れたりするものではない。そういう違いである。要するに、後輩はテコ入れ的な要素が強く、主人公に惚れて一気に落とそうとしたりして、その実はメインキャラたちの関係を再活性化させる手助けをしてしまうという、ちょっとかわいそうな役回りにあると言える。『気まぐれオレンジロード』の鮎川ひかるはこの辺では? あと八神いぶきもここでいいかな……。

向井こずえ……「テコ入れ型」(身もふたもない)あ、思い出した。そういえばこの子があんまり好きじゃなくて、『いちご100%』が自分のなかで失速した気がする。ゼロの者という成年漫画家がいて、いまは知らないけど昔かなり人気があったのだけど、こずえちゃんはやたらとゼロの者の絵柄に似ていて、それが話題になった記憶がある。テコ入れキャラ。それ以外でも以下でもないと思う。

 

というわけでこういう風に類型してみたいと思う。それから一つの命題。

「良いラブコメには本命が必要である。」

やっぱり本命の女の子がいると、別の女の子にアタックする(される)ときとかにワクワクするわけで、かつ、本命からその別の女の子に思いを徐々に移してゆくとき、青少年の心に初めて痛みが訪れるわけじゃないですか。そういう意味では、この命題はライトノベルによくある全面的ハーレム展開に対するアンチでなければならない。元から誰が好きみたいなのがなしで誰彼構わずいい顔をしていると、しまりがないというかね。

ニセコイ』がそろそろ完結するそうで、あれで言うと小野寺さんが本命型で、千棘のほうが襲来型、あとマリーがお色気型……? しかし色気は全くない。春ちゃんが後輩型、先生はテコ入れ型、こういう感じではないか。ああ、誠士郎……うーん、ぎりぎりサードアイ……違うか。サードアイは小野寺さんの友達のメガネの子だな。

ぼくは小野寺さんを応援しています。