移民ノート

1. 中東・アジア地域で紛争が絶えず、民族抗争などからジェノサイドの危機に晒されている人々が逃げ場を求めているかぎり、また、地球上の領土は何らかの国民の専有物である以前に人間共同体の根源的共有(カント)に属するものであることを承認するかぎりにおいて、移民問題は国際社会の成員が義務的に取り組むべき課題であることを肯定する。この課題を原則的に肯定するのは、左派的な態度である。

2. もし右派であったとしても、移民の受入は、自国の若年労働者雇用という観点から火急の課題である。人口減特に若年労働者が枯渇している国においては、外国からの労働者の移入によってそれを補うという解決策がある(別の解決策は国内の出生率を高めることである)。但しこの場合、移民の受入は経済的理由からなされ、国際社会の成員としての義務感情は考慮されない点において、受入のポリシーが異なる。

3. 左派であれば無選択的無条件的に移民受入を肯定するのか? それはほぼ不可能である。まず、国内の受入環境がどの程度整備されているかが考慮される必要があり、それに応じて配分的に受入はなされることになる。また前述のように受入国に移民を雇用するための需要があるかどうかが問題になる。この意味で、原則は肯定されても、ある程度の移民の制限は不可避であり、右寄りの選択的移民制度に接近することになる。

4. 移民が犯罪を起こす可能性が生ずるとすれば、それは文化的対立や宗教的摩擦よりもまず経済的問題によってであり、移民後長期間にわたる失業状態が続くとすれば、その不満が暴動に発展することは当然予測される。それは、移民でなくても、失業率が高い社会においては治安が悪化するのと同じである。

5. したがって移民の選択において、知的能力の保証された人や、何らかの高度な専門的技能を有する人を、人材として優先的に受入れたいと考えるのは、経済的観点から言っても、治安の観点から言っても、自然なことであると思われる。

6. しかしながらこの時点で、移民問題は国際社会における平和と人権の擁護という原則的理想を離れ、自国の経済問題を如何に解決するかというマーケットの問題になっていることが確認される。より悪く言えば、グローバル社会における安価な雇用の供給源として、移民の出現はかえって熱望されることにすらなる。そしてこの場合、非熟練の移民は排除されるか、盥回しになるかであり、不満が凝集的に高まることになる。

7. 欧州の移民制度は、基本的に景気が向上していて労働力が募集されていた時期に、十分な文化的統合の支えなしになされたものであり、景気が停滞ないし下降し失業率が高くなっている現在、経済問題として表面化されているのであり、宗教は彼らの不満の受け皿になっているにすぎない。

8. このように、移民政策には人道的観点と経済的観点が混在するが、純粋に人道的観点から受入が行われることはまずなく、他方経済的観点はしばしば人道的理念によって美化される。このなかで、人道的観点を強調するのが左派であり、経済的観点を強調するのが右派だと言えるが、いずれも完全に分離したものではない。

9. 二つの立場のうち、「現実的」なのは明らかに経済的観点であるが、経済的観点は選別と排除を産むものであり、その排除される人々の文化的統合や非熟練労働者・失業者の権利保障に関心を持ち、その保障の根拠として理念を用いるのが左派の態度であると再定義できる。

10. 他方、右派の場合、移民受入を完全に否定するわけではなく、経済的にはその必要性を承認しているのに、不況下になると彼らを都合よく排除することができると考える点では、依然として理想論的であると考えられる。

11. 移民の存在は現実であり、左派はその受入と統合の過程において理想を語り、その間右派は経済的必要に基づいて黙々と承認して、その統合の失敗の過程(不況の到来など)において、左派は沈黙し、右派が(排斥という)理想を語りだす。このとき、責任を負うべきが誰かと云々することに意味があると思われない。