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阪神・淡路大震災二十一年

彼女が実家で飛び降りたときぼくは地元で友人とカラオケに興じていたところで、さよならとありがとうとごめんねが内容のメールが届いたとき、おいちょっと待てよ何考えてるんだという怒りの気持ちばかりが先行していた。急いで折り返し携帯や相手の実家に電話したものの応答はなく、ひょっとしたら既に発見されて救急にでも行っているのかもしれないと自分を納得させ、それでなお多少の焦りはあれどもカラオケに戻ることができたのだからその浅ましさには驚くばかりだが、夜には相手の親御さんから連絡が来て、骨折はしたものの生きており、心配かけて申し訳ない旨が伝えられた。ぼくは少し早めに帰省を切り上げると親に言って神戸に行き、相手の家を眺めて「ああここから飛び降りたんですねえ……」となんの意味もない感慨に耽ってみたり、同じく大したことも言えないお見舞いに病院に伺ったりなどしたわけだが、その道中で長田市を電車で移動していた折、やけに山肌も露わな切り立った崖を見て、これは震災以来そのままなのかしら? と疑問に思ったことを何となく覚えている。おそらくそれはただの勘違いで、地元愛に溢れる彼女がたまに震災の話をしていたから連想されたにすぎないが、それでもその崖はいまでもぼくにとって震災の「爪痕」として象徴的なものである。思えば、真向の関心をもって震災について尋ねることはなかったから、もう少し聞けばよかったかもしれないと思う。その種の後悔はいつものことだけども。それにしても、君、自殺はよくないね。

 

阪神・淡路大震災の死者は6434名である。関東大震災が10万5千名余(木造建築に燃え移り、火を逃れて川に飛び込み、そこで熱死した人が多い)、東日本大震災が15894名(多くは、津波である)だという。早朝のことで、まだ朝食のためにガスを使う時間でもなかった阪神・淡路大震災の場合は、関東大震災ほどの火災の延焼は免れたのである。死因の大半は、寝ているとき(午前六時前)に家屋が落下してきて、圧死するというのが、一番で、空が落ちてくるというのではないが、安全だと思っていた家のなかにいて屋根が落っこちて来たら、突然のことに対処のしようもあるまい。その苦しみを思うだけで、こちらも苦しい。

自身も被災者である精神科医の安克昌氏は、震災後すぐに医局へ行き、報道ラジオに耳を傾けているときの心情を、次のように書いている。

病棟の医師控え室ではラジオがつけっぱなしになっていた。皆、落ち着かない気持ちで、ちょっとした暇さえあれば、ニュースに耳を傾けていた。

報道される死者の数はどんどん増えていった。すぐに三百人を超した。行方不明者や下敷きになっている人たちも大勢いた。まだまだ数字は増えそうだった。「千三百人以上の死者を出した一九四六年の南海道地震以来」というフレーズを聞くたびに、私はいらいらした(最終的に死者は六千人を超した)。

この、少し時間が経つたびに犠牲者の数が増加し詳細になっていく過程は、最近ではパリの襲撃事件のときにも味わうことになったが、あまりにやりきれない。止められるものならどこかで止めてしまいたいと思うのだが、それは誰にも止められないのである。

安克昌氏の著書『心の傷を癒すということ』は、震災直後の一月から翌96年の一月にかけて、葛藤のなかで連載されたシリーズを元にしている。著書はサントリー学芸賞を受賞している。

大災害による外傷は、すぐに心的な問題として生じるわけではない。その意味で、氏は震災すぐには被災者のためにできることはなく、元々精神科にかかっている患者の人たちが被災によって処方や入院が困難になっているのをサポートするのがメインになっている。

忘れてはいけないのは、安氏も一人の被災者であり、家の倒壊は免れたものの甚大なショックを蒙っているにもかかわらず、それでまた被災者のケアに当たらねばならないという状況になっていることである。そのことを氏は、「被災地には「無傷な救援者」など存在しなかったのである」と書いている。

もちろん、この救援行為は相互的なものであり、お互いを助け合う連帯が生まれることになるが(これを「災害ハネムーン期」と呼ぶらしい)、被害が大きく、また動けない人々については、比較的余裕のある人々(青年層、健常者)が専従的に補助しなければならない。そして、この救援者たちを救援する人たちも必要になるのである。

介護をする人々(一般に感情労働と呼ばれる仕事に就く人々)もまた、感情的なレベルでのケアを必要とするように。この時点で、その疲労に対する精神的なケアが必要になるとともに、外部からボランティアが訪れてその協力を申し出るというシステムが構築されてくる。

被災直後の人たちには、自分たちが見捨てられていないと感じる必要がある。それは"被災した救援者"にとっても同じことである。無傷な外部から人が来た、ということが当初は大切なのだ。そのうえで、他府県から応援に来た人たちが、被災した救援者の心を支える「救援者の救援者」になってくれれば理想的だろう。このような人的交流は、その後も、被災した救援者の心の支えになった。

本書の良さは、心の傷の癒し(ケア)が、医療的・専門的なレベルに留まるものではなく(したがって精神科医たちの肩にのみ負わされるべきものではなく)、被災者全体が、人間としての尊厳をもって生きられるようなるために、日々の営みのなかで行われていかねばならないということを、著者が身をもって実感してゆくそのプロセスにあると思う。

「精神科医」という職分でなしうることには限界があり(その限界のなかでこそ精神科医の仕事は極めて重要な意味を帯びるのだが)、震災を契機にして社会全体に関心の広まった「ケア」の問題を、単に流行語としてそのままに廃らせてしまうのではなく、自分たちの問題として引き受け、実践してゆくことこそが、著者の願うところである。

その意味で<心のケア>の問題は、たんに精神医療や精神保健の専門機関にのみ任された役割ではない。症状の重くなった人は病院を訪れるけれども、その背景には、病院にこそ来ないが、災害のストレスが心の傷になった人たちが何十万人もいる。心のケアは被災者全体に必要なのであり、そのためには被災者と接する業務を行っているあらゆる機関が、心のケアについて自覚的であるべきだろう。

大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか

 この過程のなかでボランティアが果たしうる役割は決して軽くないが、ボランティアは数が多くなると、端的に言って邪魔にもなるので、自分が何かできるものと思っていくべきでは、当然ない。それが自己実現の手段として用いられたことに対する非難などはいちいち繰り返さない。

しかしだからといって、ボランティアはかえって迷惑になるとか、ボランティア層は自己実現ないし自己アピールを目的とした人々であるから自分はそれと一線を画したいと言って参加に消極的になるとか、そういうことを考えるのは、別の害悪であると思う。

結局のところ、ボランティアが良く受け取られるか悪く受け取られるかは、その相手次第であり、こちらの与り知りうるところではない。であるとすれば、こちらとしては一緒にいたいのだが……という気持ちを伝える以外に、ボランティア側にできることはなく、そしてそのために弱気になる必要もない。

安克昌氏の師にあたる中井久夫氏の至言として、ボランティアの役割は「存在することである」というのが引かれている。まずそこにいるということが、被災者にとっての力になるのだと。専門医の立場からこう言ってくれるなら、これほど嬉しいことはないし、実際にそう思ってくれることを信じて働くしかないのではないかなと思う。