細田守監督作品『バケモノの子』

昨日『バケモノの子』を観に行ったのだが、帰ったあとすぐに眠くなって感想を残せなかった。何だかんだで最近毎日ブログを書いていたので、連続更新記録が途絶えて残念。ネタバレします。

 

まず音楽が前作『おおかみこどもの雨と雪』に引き継いで高木正勝だったので嬉しい。彼やAkira Kosemuraの音楽みたいなエロクトロニカ・アンビエント調の生活キラキラ音楽が好きで、一時期ジャニスでよく借りていたし、『雨と雪』のサントラはバイト先で勝手に流していた。

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今回も文句なしだったと思う。作品の殆どは渋店街というバケモノたちの世界で展開するが、その異国風の朗らかさとすごくあっていた。一方、主題歌はミスチルの「Starting Over」だったが、ああ、ミスチルね……という感じなので、殆ど何も響かない。歌詞を見てみると、「肥大したモンスターの頭を隠し持った散弾銃で仕留める」から始まっているように、「バケモノ」という映画の本題と無関係ではない。この曲のなかでモンスターとは自意識であり、それが「虚栄心」「恐怖心」や「自尊心」と名指されているのだが、この辺は後で触れる。個人的にはアン・サリーの「おかあさんの唄」の感動を求めていたので(あの映画、殆どこの曲だけで泣かされたようなものである)、オリジナル曲が欲しかったな。

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細田映画、『時をかける少女』(2006年)にはのめりこんだ。もちろん昔の角川映画のリメイクだが、2000年代の作品として見事にリメイクされていたと思う。異論の余地のない青春映画だ。

サマーウォーズ』(2009年)、夏希先輩が先輩なのに自分より年下ということに言いしれない衝撃を覚えたことを覚えている。ぼくはこの映画に批判的である。主人公の健二がウィルス流出の罪で指名手配でテレビに出たとき、親からなんの連絡もないのは何なの。都会の核家族はそんなに疎遠なものなのか。それと対照されるあの大家族を称賛的に描いてしまえる感性はぼくからほど遠い。極め付けに最後の場面で主人公が「ここに来れてよかったと思いました……」とにっこり。あほかー世界ウルルン滞在記かー。としょうもない気持ちになった。そしてあの大家族における女性の役割。女性は飯を作って当然と言わんばかりの。それで男は合戦ですよ。

次いで『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)で、角川シネマ有楽町で観たと思う。これは悪いとは言わないまでももやっとする作品で、お母さんのはなは、確か父親の葬式でもずっと笑っていたというほど感情を押し殺すのに長けた女性で、それからも子育てのなかでずっと笑いを絶やさない、素晴らしいお母さん、なのだが、その素晴らしさが怖いし、遠い、ぞっとするひとだと思う。一橋大学に通っている途中でオオカミに出会い、子を宿すことになるが(大学は中退したのか?)、彼女の人生設計がわからない。とにかく不気味だ。一橋に受かる程度の学力があって、家にはアリストテレスの全集が置いていたりして、何かしらインテリなのだが、避妊もせずに早々と子供を産む彼女は、たぶん初めから母親になりたかったのだと思うし、子供が産まれたとたんに、母親としての力みたいなものを見事に備えたのだと思う。ぼくは彼女が母親である以外の選択肢を知りたい。

 

さて、こういうわけで、細田映画に対してはあまり良い思いを抱いていない。では今回の映画はどうだったか……悪くない。というか、良かったと言ってもいいかな? くらい。この躊躇いには、これまでの作品によるバイアスもあることは否定しない。

ところで、ちょっと長く時間をかけてしまったので、今日はこれまでにして、続きは明日に。