教育映画という感じの『あん』

河瀨直美監督は日本よりも世界で知られている監督だと思う。昔、2008-9年に『七夜待』を新文芸座で観たが、はっきり全く良くないと思った。話はよく覚えていないが、ハンディカムみたいなカメラでぼんやり。タイのヒーリングな世界でまったり。やりとりが聞き取りづらいと思ったら、台本は殆ど作らずアドリブで進められているという。

 

2015年の『あん』もそういう独りよがりな作品かなと思ったが、それはまったく違って、ウェルメイドな作品で好感を持った。千太郎(永瀬正敏)が営むどら焼き屋に、バイトしたいと言って75歳にもなる徳江(樹木希林)がやってくる。はじめは追い払おうとする彼だが、彼女の作った餡子を食べてみて考えを改める。彼女に餡子づくりを教わりながら、店の常連の女子高生ワカナ(内田伽羅)も含めた三人が物語の中心になる。

作品のテーマは「自由」だと思う。三人が何らかのかたちで閉じ込められている。ワカナは家庭という檻に、千太郎は孤独と檻そのものに。そして彼らの檻がどちらかというと個人や家族の幅に収まっているのに対して、徳江の閉じ込められている檻は、国家の次元、歴史の次元に接触している。けれども彼らはお互いの境遇を似た者として理解しあっていて、そこから出たいと思っている。彼らを象徴するように檻のなかに閉じ込められた小鳥まで登場するのだから、象徴の扱いとしては親切そのものである。もちろん、映画の後半にこの鳥は檻から解き放たれねばならない。

永瀬正敏樹木希林の演技は申し分ない。樹木希林の名人芸については、もはや何も言うべきことはないのだが、永瀬の抑制された演技には特に感心させられた。千太郎の過去は十分には明かされていないが、決して120分のあいだだけ生きている平板な人物ではないことを説得させられる。

好みで言うと内田伽羅には未熟さを感じる。発声が特にそうで、ちょっと朴訥すぎる。それに、物語から言っても、彼女のふるまいと同時に、映画が一気に教育的になってしまう気がする。特に、彼が前の部活動の先輩と一緒に図書館で調べものを始めるあたりは、果たしてほかの仕方で伝えることができなかったのかと疑問に思う。

そして教育者は樹木希林なのだ。彼女はそれを引き受けて演じていたように思う。歴史の生き証人、人生の先輩の立場から、これから生きていかねばならない者たちへのメッセージ。そこに樹木希林自身に残された人生の長さを重ねてしまうのはもう仕方がない。

教育的な映画であることがいけないというわけではない。しかし千太郎と敏江の間柄が、魅力的でそこに回収されないものが多かったぶん、もう少しドロドロしたものがあってよかったのではないかと思う。たとえば、ワカナと千太郎が居酒屋に行って、彼がたばこを吸っている場面はすごく素晴らしいと思ったが、あれに続くものは中々なかった。そして徳江が消えてからは、物語が綺麗に終わりすぎるのではないか。少なくとも、千太郎が二度も泣くのはやりすぎだと思う。