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天使なんかじゃない

矢沢あい。魅力的な絵柄、魅力的なキャラクター……なんだけど、ちょっと合わないなと思うこともある。何よりヒロインの翠は、ヒロインの容姿としては奇抜な感じがする。ヒロインそのひとというより、その傍にいて、ちょっと不幸な失恋をするタイプに見える。マミリンの恋は応援したくなるタイプでとても好き。晃はツッパリだけど実はネコとかにやさしいタイプっていうのが型っぱりすぎて。同じネコ惚れなら『PON! とキマイラ』(好きな漫画)の八幡に惚れるチヅちゃんみたいなのが良いと思う。

 

行く先々に前世紀の痕跡を探す旅。第二次世界大戦や冷戦期の困難な時代の記念碑として。夏場は特に避暑地として栄えるサン=マロは第二次世界大戦時に爆撃され、戦前の姿を尊重するかたちで再現されている。ポーランドアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。言わずとしれた死の製造所。チェコではナチ時代のレジスタンス活動から共産主義政権時代におけるプラハの春、89年のビロード革命に至るまでの歴史を眺める。ドイツのドレスデンは、大戦終了間際に大空襲を被り、サン=マロと同じように復興の努力を重ねた。そしてベルリンでは冷戦を象徴するベルリンの壁、そしてユダヤ博物館。(ある意味では、旅路のなかで、パリだけは例外的に戦争の痕跡を感じさせなかった。大戦が始まるや否や避難したというルーヴルの芸術や、300年経っても依然として絢爛豪華なままのヴェルサイユ。もちろん探せばレジスタンスの姿を見出すこともできようが。)

前世紀の痕跡だけでなく、テクストを探す旅でもあった。「金髪の野獣」と怖れられたナチの高官ラインハルト・ハイドリヒをチェコレジスタンスが暗殺した事の次第については、最近ローラン・ビネの『HHhH』が描いたばかりで、それを元に彼らレジスタンスが今際の闘争を行った教会や、そのすぐそばの<パラシュート部隊>という名のブラッスリーに行った。ナチの加害が焦点化されすぎるために歴史上ではあまり記憶されていないドイツ最大の被害であるドレスデンの爆撃については、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』が雄弁だった。これらテクストと歴史との関わり、テクストと旅との関わりについては、また別の機会をもって書ければと思う。

 

アウシュヴィッツ=ビルケナウをその象徴とする第二次世界大戦における大量死、戦争終了以前から構築された冷戦構造とスターリン主義が引き起こした東西の分断と対立の歴史。そうしたものは観るものを少なからず厳粛な気持ちにさせずにはおかない。それはぼくのなかに多くの物思いを掻き立てるよりはむしろ思考の沈黙を要請するようであって、あまりに計画的に遂行される産業的な死や、ひとりのナチ高官の暗殺が代償としたあまりに多くの犠牲(それは一つの村を文字どおり灰燼に帰してしまった)、壁の存在が30年以上にわたって強制してきた家族や恋人たちの分離、そしてその壁を無理やり乗り越えようとする試みがもたらした成功よりももっと多い数の挫折を前にして、それを鎮めうるような言葉を自らのうちに見繕うことができずにいた。

そればかりではなく、ヨーロッパにいるあいだには決して良心に訴えかけることを止めない物乞いの存在が、メランコリーにますますの拍車をかけることになる。日本にいるホームレスたちの存在がぼくの心を痛めないわけではまったくないが、ヨーロッパの物乞いははるかにずっとしたたかでいる。彼らはたとえばエスカレーターの終着地点や有名な観光名所、教会の近辺にいて、通行人の良心を見事にくすぐってくる。そして、あまりに長く身体をくすぐられた人間が、次第に笑うことをやめて怒りだすように、ぼくもまた自分が彼らの生存戦略を貧者の傲慢と受け止めて憤慨するような心情を持つことを発見せざるをえない。つまり、貧しいひとは慈善の施しを待つべく受動的な姿勢に置かれているべきであって、こちらの良心を積極的にくすぐってこようとするのは傲慢であると考えるような、そういう唾棄すべき心情を。しかも同時に自分も早晩あちらの側に立つことになると感じながら。プラハには土下座の姿勢で硬直しているひとがいた。しばしば雪の降る季節のことである。ぼくの意識ははっきりとそれを見ることを拒み、そして博物館のなかの悲劇を前にした厳粛さと路上での冷淡さとのあいだに説明のつかない溝を残したままでいた。

 

これらの緊張状態に沈黙のなかで潜伏しながら、少しずつ今日にまで至る歴史の苦痛を受け入れつつも、その先を見ることができないかと考えるようになったのは、本当に旅の終わりの間際になってのことだったように思う。きっかけはベルリン近郊のポツダムにあるサンスーシの宮殿と庭園を歩いたことにある。この宮殿の建設者であるフリードリヒ二世のことが好きになった。武勲に秀でた父王の厳格な教育に反撥して作られたロココ調の愛と美に捧げられた宮殿というのが良い。ドイツにジャガイモ栽培を導入した人物として知られ、墓にはジャガイモが備えられてあるのも面白い。私的な生活では妻とは同居せず、子をなすことのなかったというのも、興味深いと思う。ヴィルヘルム2世なんかよりよほど精神分析的に興味あるのではないか。

人間と自然との一致をコンセプトに作られたという宮殿・庭園をたったひとりで散歩しながら、知らぬ間に少しずつ解放された気持ちになっていくように思われた。それにしたって、一人きりの人間というものは、いったいどういうことを考えるのだろうか? ぼく個人に関していえば、分裂病質的な誇大妄想を展開させるのがもっぱらで、その日は「もし自分がフリースタイルダンジョンで般若と対決することになったらどういう韻を踏むことにするか?」を相当長く考えていた。「ダンジョンの果てまでイッテ Q」を何と踏むべきか(やはり「行って喰う」ではないか)が、かなり難しいように思われた。そういう馬鹿げたことを考えるのが常の習いで、あまりにそれに没頭しすぎたせいか、広大な庭園のなかで迷い、ポツダム会談の舞台となった場には行きそびれてしまった。

ベルリンの最後の日、朝から(サンスーシ庭園ほどではないがこれも広大な)ティーアガルテンを散歩しながらぼくが考えていたのは、「もし自分が初音ミクを用いた交響曲を作ることになったらどういう曲にしたいか?」ということだった(ちなみに初音ミクを用いた交響曲冨田勲の『イーハトーヴ交響曲』がある。NHKスペシャルで一部観たが、とても面白い)。つけるべき副題は(初音ミクだから)「未来」、これは決まりきったことではないか? それは未来に希望を差し出すような曲でなければならないが、同時にこれまでの旅が目撃してきたような数々の歴史を受け止めたものでなければならないだろう。こうしてぼくは、『交響曲第1番Hiroshima』を構想していたときのあの佐村河内守のような情熱で問題に取り組んでいたと言える。

 

積み重なる死を目の当たりにしながら未来に向かおうとする初音ミクについて考えていたとき、もちろんぼくはそこにこれまで繰り返し思い描いてきたベンヤミンの(パウル=クレーの)歴史の天使を重ねていた。ぼくはいつかその唯物論的思考を失わないままにベンヤミン的な救済について考えられたらよいなと思う(というのも今日ベンヤミンが受容されるときそれはもっぱら観念論的な仕方で捉えられてしまうからだと自戒を込めて記しておく)。歴史の天使は後ろを向きながら飛ぶ、とベンヤミンは言う。その天使は、歴史を勝利の積み重ねとして、つまり前へと向かう進歩としては捉えない。むしろその敗北者たちを、進歩の後ろに取り残された廃墟を見つめながら、否応なく押し流す風に飛ばされるようにして飛んでゆく。そして、この天使のことを思いながら、ぼくはこの旅そのものにある一つの意味が現れてくることを感じた。このヨーロッパの歴史的廃墟を眺めながら、そこに天使を見つけること、あるいは少なくとも天使の眼差し・その痕跡を見つけることこそ、その旅の終りを画するものとして相応しいのではないか?

そうして気付けばティーアガルテンの中心部に近付きつつあった。この公園は広大ではあるもののサン=スーシとは異なって中央道は車道として用いられているため、あまり心落ち着くものではなく、少しずつ脱線しながら歩くほうがよい。そして真ん中には記念塔が存在している。『ベルリン・天使の詩』で中心的に用いられたことでもよく知られる黄金の像は、ヴィクトリアという名の女神あるいは羽の生えた天使だった。これだろうか、それでは? 探したかったものは……? ラウンダバウトの中央に存在する天使を間近に眺めるためには、一度地下道に降りてから中央島に上がらなければならない。階段を上がりながら天使を眺め、そうではない、これではないかもしれない、と思われたのは、ぼくの上る階段に対して彼女がはっきりと背を向け、前方へと向かわんとしていたからだった。それは戦勝記念塔だった。デンマーク戦争、普墺戦争普仏戦争の勝利を記念して建てられた塔は、歴史の敗北の天使とは真逆の方向を向いている。『1900年頃のベルリンの幼年時代』のエピグラムで、ベンヤミンは「おお こんがりと焼きあがった戦勝記念塔よ/幼き日々の 冬の砂糖をまぶされて」と記しているが、同じテクストのなかで、それを「墓標」であるとも呼んでいる。勝利の女神は、それに続く数多の死と土地の荒廃をもたらしたからだった。ベルリンを去り、亡命生活を送ることになったベンヤミンは、まさしくこの勝利の女神に抗するかたちで、自らの歴史の天使を思い描いたに違いない。

これは探し求めていた天使ではない。ではぼくがこれまで歩いてきた風景のどこかに天使は隠れていたのだろうか? ベルリン動物園の方へと歩みを向けながら想起のなかに天使を探し求めようとしてみたが、その努力はまるでミシェル・ゴンドリの『エターナル・サンシャイン』で男が記憶のなかの元恋人を探し求めるときのようで、一瞬現れたかに見えては消えてしまうのだった。もしかしてぼくが飛行機のなかで寝ていた見逃したモン=サン=ミッシェルの頂上にいる聖ミカエルが? いや、ぼくの思い描く天使はあれほど勇猛に竜を殺すものではない。それではルーヴル美術館にいたサモトラケのニケが? ニケは戦勝記念塔のヴィクトリアと同一の女神だが、前者の方がよりはるかに好ましく思えるのは、彼女には顔がないから、どこを向いているのかわからないところにあるからかもしれない。だがそれでもない。数多く訪れたあれやこれやの教会のどこにでも天使はいたが、そのどこにも、歴史の負債のすべてを見つめて飛ぶ天使はいなかったようにも思われた。

 

カフカは天使について何か書いていただろうか? そういう疑問が浮かんだが、それに答えてくれるひとはいなかった。カフカなら天使を見つけていたかもしれないな、とだけ思ったが、けっきょく記憶のなかで天使をつかまえることはできなかった。羽一つ残さず、けっきょくのところは、その記憶そのものが間もなく廃墟として崩れてゆくこともまた分かりきっていた。パリで『出口なし』という劇作家ジャン=ポール・サルトルの戯曲を観たことを思い出す。地獄に出口はない、と彼は言う。ユダヤ博物館の一角で、強制収容所の恐怖を思い起こすために構築された真正の暗闇に閉じ込められたとき、怖れに駆られてすぐさま入口を探したことも思い出す。もしあのとき入口もなくなっていたなら? そして実際の話、歴史のなかには入口も出口もないのだとしたら?