隠者のストア主義――牧野信一「村のストア派」(1)

前回前々回に少しだけ触れましたが、セネカの時代のストア派というのは中々にマッチョなところがあります。その最たるは彼がストイシズムの克己心を軍人のそれに喩えていることでしょう。勇敢な軍人が辺境に飛ばされればそれを不遇と捉え前線に置かれれば隊長が自分を寵愛しているのだと捉えるように、賢人は困難の最前線に置かれたときにこそ神が寵愛ゆえに自分を試練にかけているのだと知る。セネカの時代にはやはり武勲が市民の徳に不可欠なものでした。それゆえストイシズムには、少しばかり禅に似たところがあって、武人向きなところがあります。

 

とはいえ一方で、時代が降るにつれて外界や情念の大胆な吟味という性格は薄れ、そもそもそれら刺激から逃れる「無関心な」隠棲的道徳と受け取られることがあるのも事実。そこで今日は青空文庫から牧野信一村のストア派」(1928)を取り上げてみます。作家が自身の似像として描いている隠者的なストア派青年に注目することで、巧妙なユーモアとともに、隠者的なストイシズムの抱える苦境がそこに描き出されていることを明らかにしたいと思います。

 

図書カード:村のストア派

牧野信一(1896-1936)は非常にマイナーな作家で、僕も殆ど全く知りません。自然主義私小説の作風でデビューしますが、国木田独歩(1871-1908)、田山花袋(1872-1930)や島崎藤村(1872-1943)のような作家よりは一世代下に属しています。初期の小説では赤裸々に自己の周辺や酒癖を語っているようですが、とりわけ彼にとって重要なのは家族との関係――父への憧憬、母への憎悪――だったようです。幼いころから家族の折り合いは悪く、父親はそこから逃げるようにして渡米、信一は英語を学びながら父への憧憬を募らせます。帰国後も父は別居を続け、信一とは英語で会話していたというのですからちょっと歪んでいます。一方で母親に対しては強い憎しみを感じながら、その磁場から十分に逃れられないでいる。1924年には父も逝去して、母親に対する怨恨は強まるばかりでした。

 

牧野信一がとりわけ知られているのは、しかし、そうした時期を抜けたあと、1928年頃から数年にわたる、「ギリシア牧野」と呼ばれる時期によってです。既に時代は昭和で、自然主義文学からプロレタリア文学へと文壇の趨勢は移っており、牧野もまた作風の変化を余儀なくされました。しかし彼が遂げる変化はまったく反時代的なものに見えます。というのも、この時期の彼はとりわけ集中的にプラトンアリストテレスセルバンテスを読み、私小説的ではありながらも、それとは一線を画する幻想的な作風を自らのものとするのです。その草分けとなる作品が「村のストア派」でした。この短篇はすぐ読めてしまいますが、緻密に作られていて、細部を眺めるのにとても心地よいものです。

 

樽野という人物(学生は辞めたが作家であるらしい)に焦点をあてた本作には、やはり私小説的な風土が生きています。とりわけ母親については次のように描かれています。

「女」といふ哀れを傘にして良人の直接の怒りから逃れ、「母」といふ事実を循にして子等の口を閉し、徒らに子等の胸を「憂鬱症[ルビ:ブリウ・デビル]」の翼で覆はうとする母親こそ真にたゞ独りの罪人だと思つた。

母親こそ「真にたゞ独りの罪人」だと思う。作中にはこの憎しみの淵源そのものはあまり語られていませんが、非常に強い断罪であることは確かです。作中には直接現れてこない彼女の存在の磁場は、それでも樽野を追い詰め、追い込んでゆきます。母親から学資の援助を断たれた(実家の没落に原因があるようですが)樽野は、妻と友人と弟と一緒に蜜柑畑のある村に引っ越しているのですが、蜜柑畑を含む動産不動産でさえ、母とその差し金のGという男によってどんどんと差し押さえられてゆくのでした。

 

しかし彼はそうした困難を運命論的態度で受忍する。ここに、私小説的風土をギリシア的世界のなかに置き直す可能性が生じてくるのです*1。この運命論的態度がヘレニズム期ストア派の根幹にあることも既に見たとおりです。そして樽野は「村のストア派」として、たいへんな窮状にもかかわらず、ある意味で非常に暢気な人物として描かれている。冒頭の一節を読んでみましょう。

沢山な落葉が浮んでゐる泉水の傍で樽野は、籐椅子に凭つて日向ぼつこをしてゐた。彼は、あたりのことには関心なく何か楽し気な思ひ出にでも耽つてゐる者のやうに伸々と空を仰いでゐるが、何時の間にか眠り込んでしまつたのかも知れない、膝の上に伏せてあつた部厚な書物が音をたてゝ足許に滑り落ちても拾はうともしないから。書物は、もう少しで水の上に落ちかゝりさうなところで躑躅の小株につかえてゐた。そして、情熱的な読者の赤鉛筆で共鳴の傍線があちこちに誌しるしてある「抽象的観念の実在」――そんな項目の頁を微風に翻してゐた。

あたりのことには関心なく何か楽し気な思い出に」耽っているような樽野は、まったくの隠者的ストア主義者だと言えるでしょう。彼は自然主義作家のように自己の窮状を赤裸々に眺めようとすることなく、プロレタリア作家のように社会の窮状を克明に描き出そうとすることもなく、「抽象的観念の実在」について夢想しているのです。そこで彼の窮状の原因であるGでさえも、彼に作品を依頼したあとで、いささか侮った様子で樽野に次のように言います。

「いや、有りがたう、まあ一つゆつくり頼まう――それは兎も角君なんかの仕事は羨しいねえ、世の中の厭なことには眼も触れずに自分の考へだけを究めてゐられるんだからね、幸せだねえ。僕の考へに依ると芸術家の生活といふものは帰着するところ大概ストア流だと思ふが何うでせう? ――フ……!」

時代の趨勢を考えれば、この発言は少しアイロニカルです。プロレタリア作家たちならこの一節に激怒するか、単なるプチブルとして軽侮して済ませることでしょう。しかし樽野は文句ひとつ言わない。「一つ目小僧[ルビ:キクロオブス]」と踊り狂ったり「類人獣[ルビ:ケンタウル]」と組打ちをする夢を見、自分のオートバイのことをアレキサンドル大王の愛馬にあやかってBucephalusと呼び、30万円(当時の値段!)するプラネタリュウムを「安いと思わないか」と妻に言い、観想的な生活を送ろうとする樽野は、根っから現実遊離したストア派であるようにも思われます。

 

しかしながら、実際にはそうではない。次回は短篇をより詳細に見ていきながら、ストイシズムの困難について考えていきたいと思います。

*1:そもそも牧野の父母との関係は、反転したオイディプスを思わせます。オイディプス神話においては、父親を憎み母親を愛するということが運命づけられていましたが、ここでは父親は既に逝去していながら憧憬の対象に留まり、母親こそが「罪人」として、赦しがたく現れてくる。あるいは父親のアガメムノンを殺した姦婦である母親クリュタイムネストラを殺害する子オレステスを考えても良いかもしれません。しかし樽野はまったく無力で、彼女に何か復讐するなどということを考えられない。彼は自らに課された運命をそのままに享受せざるをえないので、運命に対する反抗(とその挫折)という英雄的契機を欠いています。